年明けにはまだ,視力があったMilky,,,それが月を重ねる毎に落ちている事が解る視力。
それでも先月にはまだ,微かでも見えているようだった視力なのだが,,,,今は完全に全盲になっている事が確実。
大好きな散歩!  大好きな食事!,,,それさえも見えない,匂わなくなってしまったMilky。
先月までは,手で誘導すれば何とか真っ直ぐ食器に辿りついていたのだが,,,,
今では手で誘導しても,通り過ぎる。。。辿りつくまでに右往左往する。。。。
散歩の時には眼の前の段差が見えない。。。。見えないから足を踏み外してしまう。。。
たとえ微かでも視力がある時は,手で合図をすると,理解する事が出来ていたMilky。
今では,手で合図を送っても理解出来ずに立ち往生。。。。
散歩のための合図であっても,立ち上がるとどの方向へ歩けば良いのか解らぬMilky。
玄関への柵が解らずに通り過ぎてしまうMilky。
   そんなMilkyの姿を見る事が辛い。。。。若く溌剌とし,,,優しく大らかだったMilky。
それが今では,小さな子供のように,,,,心弱い不安の塊のように私の後ろを付いて歩く。
私が座れば,,,眠れば私の傍で共に休む。まるで母の温もりで安心を得るように。。。。
Milkyを室内で自由行動にしていると,安心出来ない。。。段差に足を踏み外していないか。
Milkyが見当たらないと,心配で仕方ない。。何処かにぶつかって不安で一杯になっているのではないか。。。
Milkyの姿がみえないと私が,不安で一杯になってしまう。。。。
一日の間で眠る事が多くなった。。。。熟睡している事が多くなったMilky。
外観では若い時と然程変わったと思えないほどだが,それでも,,1つ1つ,,,小さな事を取り上げてみると。。。。
Rockyが亡くなる前の1年と似て来たのだろうか。。。。。
Milkyの死も近くなって来たということなのだろうか。。。。
  Rocky・一代目banboo・麻呂・ポロ・・・・・この仔達の死は,心の準備もないままに迎えてしまった。。。。
banboo以外は,確かに老いは見えていたが,だからといって死に繋がるものは何1つなかった。
何1つなくても確実に死に向かって歩いていたのだ。。。。

16年もの長い間,共に在ったMilky。
これから先,どのようになっていくのだろう。。。。
逝った仔達の様に,亡くなる直前まで健康であってほしい。
痛みが,,,苦しみが,,,辛い状況にならないでほしい。。。。切に願う。
その為には努力は惜しまない。。。私の持てる限り時間,経済力をMilky。そして貴方達へ。
私と共に在る命に捧げたいと思う。。。。たぶん,それが私の仕事なのでしょう。。。
今迄,何度も死に掛けては生きながらえて来た私の仕事なのでしょう。

命を愛し,愛しむ事が私の仕事なのでしょう。
     そんな私の姿を,,,そして心を子供達に感じて欲しいと思う。
  たとえ,相手がどんな命であったとしても,命は尊い,貴いものだという事を知ってほしい。

      *********************************************

Sinsui様,こんにちわ,

 上記は数日前に書いた日記の内容なのですが,,,,,。
確かに書いた事が本心である事に間違いはないのですが,この本心の更に奥にある私の本心は,「死が怖い」という事が根底にあります。
私は何時から「死」が怖くなったのでしょう。。。。私のような人間なんか生きていたってどうしようもない。
生きている事に喜びを感じる事が出来なかった私。死ぬ事しか考えなかった時期もある私が,
悲しみや苦痛の多い人生の中にも喜びや楽しみを見つける事が出来た今は,死を迎える事が非常に怖く感じるようになっている。

此処数年を皮切りに色んな「死」と向き合うようになってきた私。
親しい人との別れ,大切に大切に家族として共に生活をしてきた者達との別れ。
ただ,死を怖がるだけの私に対して,
多くの死と向き合うという事は,死と如何に向き合う事がよいのか考える場なのでしょうか。
多くの死と向き合うという事は,死を怖がっている自分に対して自分の死への心の準備となるのでしょうか。

私は多くの命との別れを通して,自分の死に様をしっかりと見届けたいとも思っている。
自分が死するその瞬間まで,子供たちへの手本となりたいと心より願っています。

いよいよ梅雨も明けて暑い夏が本番となりましたね。
Sinsui様は,これからが一番忙しい時期となられますね。
御身体に無理がありませんように。。。。何時何時までもお元気で居られますように。。。。
心より祈っています。

                         sarubia       2007年7月25日 1:06  


   Re: 見届ける命

sarubia様

メールありがとうございます。

> 私は何時から「死」が怖くなったのでしょう。。。。
> 私のような人間なんか生きていたってどうしようもない。
> 生きている事に喜びを感じる事が出来なかった私。
> 死ぬ事しか考えなかった時期もある私が,
> 悲しみや苦痛の多い人生の中にも喜びや楽しみを見つける事が出来た今は,
> 死を迎える事が非常に怖く感じるようになっている。

「死」が怖くなった、というのは、ある意味、
ようやく宗教本来のスタートラインに立ったということです。
生命は常に、生きて生きて生き切ることを本位としていますので、
生きとし生けるもの全てが本能として「生きる」ことを望みます。

人間以外の生物は死ぬが死ぬまで、迷いなく「生きよう」とします。
しかし人間は「死」ということを予め知ってしまった、
特に自分の死まで考えるようになってしまって、
余計な迷いや苦悩が深くなってしまったのです。
考えたって仕方の無い「死」ということを考え過ぎ、
肝心な「生きる」ことがおろそかになってしまっていた。
それが仏教が登場するまでの宗教史だったのでしょう。

> 此処数年を皮切りに色んな「死」と向き合うようになってきた私。
> 親しい人との別れ,大切に大切に家族として共に生活をしてきた者達との別れ。
> ただ,死を怖がるだけの私に対して,
> 多くの死と向き合うという事は,死と如何に向き合う事がよいのか考える場なのでしょうか。
> 多くの死と向き合うという事は,死を怖がっている自分に対して自分の死への心の準備となるのでしょうか。
>
> 私は多くの命との別れを通して,自分の死に様をしっかりと見届けたいとも思っている。
> 自分が死するその瞬間まで,子供たちへの手本となりたいと心より願っています。

はい、その通りですね。
sarubiaさんは迷いながらも方向性だけはきちんと見定めてみえるようです。
後は徹底すること。
大事なことだけを考え、大事なことだけを身に満たすこと。
必ず死ぬことは解ったのだから、迷わず「死に切る」。
そのためには正しい人生観を得て、今、ここで、懸命に生きることです。
この方向性と姿勢が定まることを「正定聚」とも「不退転」と言います。

人間以外の生物は、本当に懸命に生きています。
人間だけが迷い、道を誤り、一生を台無しにしてしまうのです。
しかし、迷いを乗り越え、生死を自覚し、生き甲斐をもって生きれば、
他の生物以上に輝く人生を得ることができます。

これは「悔いなく生涯を過ごす事は出来るのか?」にも書きましたが、
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/05_07_26.html
「滅度」とも「択滅無為」も言われる完全燃焼の一生を送ること。
死を自覚したからこそ、生きている今が永遠の輝きを放つのです。

島田幸昭師はいつも法話の終わりに、――
「愛宕山入る日の如くあかあかと 燃やし尽くさん残れる命」
という西田幾多郎博士の言葉を称えてみえました。

私も迷いは尽きませんが、思考や行動が生命の順方向に添うよう
つねに自らを省みて生きております。

合掌

              O,M           August 03, 2007 1:14 PM

 

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