東海教区仏教青年連盟主催

公開講座 同朋の集い(2001年11月11日)

いのちを考える 1

― 無宗教の立場から生命を見つめて ―

【公開講座の記録】

[講師:森岡正博 氏]

    講師紹介

 森岡正博氏(大阪府立大学総合科学部教授)は、生命学という視点からジェンダー論を
はじめとし、現代思想、現代倫理学などの研究を行い、多方面で活躍されている。
『生命観を問いなおすエコロジーから脳死まで』(ちくま新書・1994)
『宗教なき時代を生きるために』(法蔵館・1996)
『「ささえあい」の人間学』(法蔵館・1994)
 などの著書がある。
森岡正博の生命学ホームページ参照)

 存在の奇蹟

 前半は脳死とか人間の死についてお話をさせていただきます。私が考えてきたこととか、
出あったこととかについて、話したいと思います。
 休憩後は流れで考えますが、人間が生まれてくることについて命の選択ということについて、
命を選ぶ、そういうことが今はできるようになってきていますので、それについて少ししゃべってみたいと思います。
 人間の死と生なんですけど、この問題は考えてみれば仏教、お釈迦様が悩みに悩んだことでして、
だから何かつながりがあるのではないかと思います。
 私自身は仏教その他を信じているわけではありません。まあ、よくある日本人でありますが、
ただ宗教には非常に関心があります。本題に入る前に少しそのことついて話してみたいと思います。

 今大学で、哲学・生命学ということについて教えていますけれど、私自身は無宗教ですね。
ただ無宗教といっても一種類ではありませんで、何種類かあると思うんですね。
こういう人がいます「神も仏もいるわけがない。あんなものを信じるのは幻想を信じているんだ。
宗教を信じているのは、皆ごまかされているんだ。世の中にあるのは物質だけであり、
人間は死んだら無になるんだ」って、こういう考え方の人もかなりいらっしゃる。

 ただ、そういう考え方は変だと思うんです。これについては、ずっと昔から悩んで自分なりに
考えてきたんですけれど、例えば、「人間は死んだらどうなるのですか?」ということについて、
よく分からないですね。科学はそういう質問に何ら答えを出してくれない。ですから、宗教が
語ってきたこと、あるいは死んだらどうなるか、とか人間以上の存在はあるのかどうか、
ということについて、実は我々は何も分かってない。はっきり証拠をにぎる形ではね、と私は思います。
 ですから、「死んだら無になる。宗教はいんちきさ」という考え方は言い過ぎだと思います。
私はそういう風には考えていません。だけども、かといってですね、どうも私個人の場合はある
信仰の道に入るとか、信じるとか、仏さまを――「仏さまを信じる」というのもおかしな言い方ですが、
信じるとか、そういう意味ではないんです。

 結局。私が取った道というのは、神とか仏とかあの世とか、死んだらどうなるのか、ということについて、
私は多分何もわかっていない。だからそれについて、「有る」という考え方も「無い」という考え方も取れない。
よく分からない。そういう場に立ってみると、逆に私の側から見ると宗教ってのも、宗教の道を問う、
何か踏み込んでいこうとしている。そういう人たちってのはあきらかに宗教は道であると、素直に受け取れる
かも知れないですね。だけど私はその道を行かない。私は別の道を行く。
 どういう道かというと、分からないけど、私がここに居るのは謎なんですね。
私は居なくてもかまわないのに居る。私は小さい時からずっとこの問いに悩まされていまして、
「私は居なくてもいいのに、なぜ居るんだろう」。不思議でしょ、すごく。

 地球ができて40億年ですよね。宇宙はそれより長い年月があって、それこそ何百億年とか
築くわけですよね。そこにたった何十年という短い一瞬が、無くてもいいのに、なぜ今その一瞬があるのか。
これ、考えていくとすごく困るんですよ。
 だからこれは謎です、奇蹟ですね。
 私の存在は宇宙が無い方が普通なのに、有る。これは奇蹟だし、謎だし、不思議です。そういう
「私は今なぜ在るのか」とか、じゃあ「私が無い」とはどういうことなんだろうか、とか。
「生まれてきた」とはどういうことなんだろうか、とか。「いずれ死ぬ」とはどういうことなんだろうか。
これは全部謎なんです。
 だから謎には何か意味があるに違いない。そういう問題を宗教を通らずに考えていったらどうだろう、
というのが10代から20代にかけての疑問でして、私はその道で行こうと考えて、今に至ってます。

 ですからいのちという問題に対して、宗教の道を通らない私のような人間がなぜひっかかっているのか、
っていうのは、まずひとつそこにある訳です。自分の存在が謎なんですね。これを私を超えた誰かが
自分の存在を与えているのだ、と思えれば、それはそれで解決できるのですが、私はどうしても
そう思えない。だから、その話を勉強会で出ると思いますけれども、こういう話を色々な方と話しをします。
仏教の信仰のある方ともします。するとよくひとつの答えが返ってくるんです。何かというと
「それは与えられたのよ」という答えです。
 この答えも、20回30回と聞くとだんだん飽きてきまして、
「私の存在は何?」、「それは与えられたのよ」「生かされているんだよ」と、答えられるんです。
それはそうかも知れないけれども、何か違う気がするんです。そのことについて自分で考えてみたいと思います。

 言葉にインパクトの有る人無い人

 もう一つ、こういう問題について、語り合う機会があるんですけれど、そうする度に色々感じることがあって、
そのひとつが、これは大事なことなので言いたいのですが、例えば私が今のようなことを言うでしょ。素朴に
「私はなぜ生きているの」と。「死んだらどうなるの」、「なぜ生まれて来たんだろう」って、謎ですね、
話をした時に、どういう言葉が返ってくるか、ということですね、返って来た時に、「仏教ではね、
大きな力によって今生かされているんだよ。それに気づくことが仏の気づきなんだよ」と、
言ってくれるわけなんですが、人によって全然インパクトが違うんです。

 何で違うのか、ずっと考えていたのですが、インパクトの無い人・お坊さんというのがいるわけです。
その人はその人の言葉で喋ってない。言ってることは、おそらく仏教でそういうふうに教えられて
いるんでしょうが、インパクトの無い人というのは「お釈迦様もこう言っています」とか
「親鸞聖人もこう言ってます」と言ってくれるわけです。
 すると私は聞いて「へー」と言うだけです。「ふーん、よかったね」と。

 インパクトのある人は、別の語り方をするんですね。その人が生きてきた言葉でしゃべるんです。
その人が人生、生きてるわけですよね。その人の人生で色々なことに出あうわけです。
私も色々なことに人生であいましたけど、同じように色々なことに出あったはずなんですよ。
 で、その人が人生で色々なことで出あって、嬉しいことも悲しいことも出あったし、
見たくないことも見たでしょ。自分は宗教者のはずなのに何でこんなことをやっているんだ、と。
色々あるじゃないですか。人に言えないこととか。別れもあったでしょう。その中で、
その人がつかみ取った言葉で返してくれる人がいるんです。

 そういうとき、すごく伝わるんです。「あ、そうなんですよ」とか「今のすごくいい」とかね。
言いかえてみれば「生かされている」ということかも知れないのですが、伝わるんです。
私のように仏教の道をいってない者に「いいなあ」というふうに伝わります。これは、
その人が生きてきた人生の中からつかみ取った言葉なのでしょう。つかみ取る時に
仏教を信仰していたのであれば、背後にそれがはたらいていたように思います。

 うまく伝わってるかな。私がいて、その人がいる。その人はその人の人生を長く生きてきているんです。
たとえ出家者でも、どろどろした中を生きてくるんですよ。その中から言葉をつかみ取ってきている。
その時に仏教なら仏教に真剣に関わってきたのならば、仏教がその人に関わってきて、言葉を発見し、
言葉が私に伝わってきている。こういう構造になっていると思います。
 インパクトの無い人は、そうなってないです。借り物の言葉。どこから借りてきたか。仏教の経典か
親鸞聖人の言葉からか分からないけど、そういうのから入ってきて、「こうですね」と話す。
そういうマニュアルがあるんでしょ。私は知りませんけど。応用問題になっているだけです。

 世俗の論理に対抗してきたはずの宗教者

 この話を最初にしつこくしてるのは、私はいつも思うんだけども、「今、仏教が力を無くした」と言ってるでしょ。
皆さん。「仏教の影響力が無くなってきた」と。「誰も聞かない」、「若い人が来ない」。それは半分くらいは
仏教の方に問題があるんですよ。またそのうちの半分は言葉を失っている、力のある言葉を失って
いるからだと思います。
 力のある言葉とは何かといえば、親鸞聖人の言葉をベースとして、仏教ということに真剣に関わってきた
人生の中から自分でつかみ取った言葉が1番力があるんです。この言葉をつかみ取れば、誰にでも
伝わりますよ。仏教の信仰の無い人でもキリスト教の人でもイスラムの人たちでも、と絶対私は思います。

 だから、そういう言葉を失ってきたんじゃないでしょうか。これは私が10年くらいずっと話してることですけどね。
偉そうですけど、一宗教をしてない人間の代表として言わせてもらうと、我々はそういう言葉を聞きたいですよ。

 悩みますよ。例えば今回テロ事件があって、今どうしてるかというと、アフガンで何も関係ない人たちが
大勢死んでる訳ですよ。<何なんだ>と思うでしょ。だから、2ヶ月間そんなことで頭がいっぱいで、
どう考えててもこの悩みは解決できません。無力になるんですよ。だってアメリカは2億5千万いる
80%はブッシュを支持してるんだけど、日本で一人で俺が何言っても変わらないじゃないか、と思うんですよ。
無力だし、酒でも飲んで寝るか、ということになってしまいます。

 多分、こういう時に、実は昔から言葉を発してきて世俗の論理、軍と力の論理が覆ってきた時に、
人類の歴史を見てみたら、その中で最後まで対抗して言葉を発してきたのが宗教団体なんですよ。
どの地域でも。だから宗教は言葉を発するべきですよ。絶対。私たちも聞きたい。
「そういう考え方もあるのか」と、思うでしょ。だから、そういうこともあるので、
宗教がすることいっぱいあるんですよ、今。これもちょっと偉そうに言いました。

 今日はこの話はしませんけれども、今度のテロ事件とその後の空爆について、
仏教者はどう考えているのですか。これを聞きたいな。どういう行動をしているんです? 
あるいは仏教はそういうことに関わらなくていいの? 私はよくわかりません。

 だけども、そういうことでして、私が最初に言いたかったのは、
生きた言葉、人生からつかみ取った言葉、これがほしい。私もほしい。日本の世の中も欲しいんだ、
と思います。その言葉は仏教の方から出てないから、こういう状態になっているんだ、と思います。

 脳死は暖かい死

 最初にしゃべりたいのは、これは脳死についてしゃべりますけれども、
私はここ15年くらい脳死の問題にずっと関わってきて、色んな人に出会って、聞いたり色々して、
そこでつかみ取ったことについて言葉をしゃべります。
 小さなことかも知れないけれども、自分の中でわかっていることをしゃべりたいですね。
脳死について専門的なことはここではしゃべりませんが、皆さんもご存知だと思います。
脳死の状態というのは、大きな病院では、例えば交通事故で頭を砕かれてしまって、
病院に行って、頭が血だらけだから、それを助けようとする。それが失敗した時に、
脳死の状態になるときがたまにあります。

 脳死の状態は、脳の中に血が出て、細胞がどんどん死んでいくんです。そうなっていくと、
脳死状態に陥る。脳死状態では脳の中では脳細胞がはたらかなくなっているのですが、
人工呼吸器を付けていますから、肺は動く。肺が動くと何故か心臓もくっついて動くんです。
だから、肺が動き心臓が動き、脳以外の身体には血が流れていく。すると脳以外は
結構生きていたりする。脳死状態になったら、数日で心臓が止まる場合が多いですけど、
最近では長く続く例も非常に多数報告されています。

 今まで1番長く脳死状態で生きていたのは17年6ヶ月です。で、今もその状態です。
それは4歳半の時に脳死状態になって、その後17年間以上脳死状態が続いていますので、
今21歳です。こういうこと、皆さんご存知でしたか?
 その人はどこに居るのかというと自宅療養しているんですよ。今までは、脳死になったら病院で
人工呼吸器付けて、看護婦さんやお医者さんが一杯いて、治療しないとダメだと思われていますが、
実はそうじゃないんです。脳死状態で皆がひっしで治療するのは最初だけ。最初の1週間か1ヶ月で、
山場を越してしまうと脳死状態というのは安定しちゃうんですね。そして脳死のまま同じ状態が
ずーっと続くんです。手がかからないんです。ですから退院できるんです。家で面倒を見る
根性さえあれば、家に連れて帰れます。病院を退院した例は他にも数例報告されてます。

 だから脳死って、今まで皆が持っていた常識って、脳死になったらいずれ心臓も止まる。
数日とか1週間で。だから脳死になったら死でいいじゃないかと言われてきたけれども、最近、
それは全然嘘である、ということがここ2〜3年ではっきり分かってきた。

 もう一回言うと、脳死の状態になると長続きするんですよ。特に若い人はそうです。特に子どもの時の
脳死は身体は元気でずっと長生き、長生きというのは分かりませんが、ずっと続く。これについて後で
ご質問があれば、またしゃべりたいと思いますが、ですから、脳死状態というのは、
やはり生か死かわからないですよ。
 はっきり言って。今まで色々な文献を読み、色んな人の意見を聞き、脳死で家族を亡くされた人の話を
色々聞きしてきましたけれども、色んな考え方があるんです。専門家の中でも意見はばらばらです。
「死んでる」という見方も確かにあるし、「生きてる」という方も分かる。
やぱりこれは灰色の死なんですよ、脳死ってのは。

 よく「脳死は医学的にみて死と決っているんです」と言う人もいますが、本当はよく分かっていない。
専門家が1番分かっている、というのは間違いですよ。やっぱり分からない。
脳死は色々な見方ができるんです、暖かい死だから。

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